坂本龍馬
その使命と生き方
姉「坂本乙女」 印刷


坂本龍馬には、「坂本乙女(さかもとおとめ)」という名前の姉がいました。
坂本乙女は坂本八平・幸夫妻の3女として生まれました。坂本乙女と坂本龍馬の父である坂本八平は、土佐国高知城下本丁筋町人の郷士だった様です。

豪商であった才谷家の分家として、元々坂本家はその土地で過ごしていました。しかし弘化3年の8月、母である坂本幸が死亡しました。
すると姉である坂本乙女が、坂本龍馬の母親代わりとなって面倒を見る様になりました。
坂本乙女は非常に男勝りな性格だったので、弱虫だった坂本龍馬を強い男になるまで、徹底的に鍛錬したと伝えられます。
事実、坂本乙女は、当時女性が当たり前の様にたしなんでいた料理や裁縫は好まず、男性が行っていた武芸や学問や絵等に興味を持ち修行していたそうです。

この坂本乙女は「仁王様」と呼ばれた事もあったそうです。
そう考えると好奇心旺盛で何でも挑戦してみたという性格は、坂本龍馬にあまりにも似過ぎており、姉である坂本乙女からチャレンジ精神を受け継いだとしか考えられません。
因みにこの坂本乙女、夜中に鷲尾山でピストルを試し打ちして、皆を驚かせたという逸話まで残っているそうです。
本当に何でも試してみたくなる、好奇心旺盛な女性だった事は間違いありません。

坂本乙女は一旦は他家に嫁いだ後に離婚し、脱藩した坂本龍馬の妻おりょうの良き理解者として、おりょうから慕われていたと伝えられます。
坂本龍馬自身も、姉の乙女に度々手紙を書き送っていたそうで、姉弟の仲の良さを伺い知る事が出来ます。

坂本龍馬が暗殺され死亡した後は、妻のおりょうが姉の乙女の元に一時的に身を寄せていたのですが、何故か理由は分かりませんが、直ぐに家を出て行ったそうです。
その後のおりょうの人生は波乱万丈だった様ですが、残念ながら乙女の人生のその後は分かりません。分かるのは、坂本乙女が48歳で亡くなったという事だけです。

でも坂本乙女の志は弟の龍馬に引き継がれ、坂本龍馬の名前は天下に轟くものとなったのですから、坂本乙女は立派に使命を果たしたのだと信じずにはいられません。

 

お勧め