坂本龍馬
その使命と生き方
日本初の新婚旅行 印刷


日本で初めて新婚旅行をしたのが、坂本龍馬とおりょう夫妻だという事は、かなり有名な話ですのでもう御存じですね。

慶応2年の1月に京都伏見にある寺田屋という店で、幕吏達に襲われた坂本龍馬は、手に深い傷を負いました。
傷は両手に受けた様ですが、特に左手の親指の傷が重傷で、相当に深い傷だった様子です。
その後、最初は薩摩藩にいましたが、西郷隆盛らの勧めにより、「おりょう」という妻と一緒に、鹿児島へ行ったと言われます。

初めの頃は鹿児島城下で静かに暮らしていましたが、傷の療養を兼ねて、霧島にある塩浸温泉へ旅に出たと伝えられます。そうです。このおりょうを伴った霧島への旅を、坂本龍馬は「新婚旅行」に置き換えたのです。
実はこの時は、「西洋には『新婚旅行』と言う習慣がある。結婚したら、夫婦二人で旅行に出掛けるのだ。」と、勝海舟から聞いていた事が契機となった様です。

この新婚旅行は、塩浸温泉を初めとして、高千穂峰、霧島神社等、多くの場所を夫婦で訪れたそうで、様々な場所に二人はその足跡を残しています。
この時、深い傷を負った龍馬を、献身的に介護したのが妻のおりょうでした。医者の娘であったおりょうは、龍馬の体の傷を癒す為に、それこそ一生懸命尽したのです。

この新婚旅行はこれ以上はない程にのどかで穏やかな旅行だった様子で、この癒やされた日々に彼は姉である坂本乙女に何通もの手紙を書き送っていたそうです。
それにしても、坂本龍馬の生涯の中の劇的な業績とはあまりにも対照的であり、どんな人生にも対比(コントラスト)があって、バランスが取れているのだと思わずにはいられません。

大体、日本の幕末の世に、新婚旅行を誰も全く知らなかった時代に、龍馬が新しい事をパッと取り入れて実行した事には、まさしく先見の明があり本当に凄い事だと思います。
この新しい事を取り入れた行動力こそが、事業に於いても新しい時代を拓いた原動力となっているのは間違いありません。

 

お勧め