坂本龍馬
その使命と生き方
幕末の日本に現れた巨星 印刷


土佐が誇る幕末の英雄と言えば、誰に聞いても「坂本龍馬」をおいて他にはいないと答えるでしょう。
この坂本龍馬、僅か33年間という短い生涯だったにも拘らず、今も尚多くの人々を凄く惹きつける生き方をしていたのです。
その熱い生き方こそが、多くの人を虜にしている秘密なのかも知れません。

坂本龍馬は1835年、高知城下本町で産まれました。
とても信じ難い事ですが、幼少の頃の坂本龍馬は何と泣き虫で弱虫で、将来が心配されていた子供でした。
しかし姉の乙女に鍛錬されたせいか、徐々に剣術で腕を磨いて、次第にその腕を上げていきました。
その後は大出世で江戸に行く事になりますが、幕末の土佐との絡みが色々あり、やがては脱藩する事になるのです。
その後は勝海舟の愛弟子となり、師匠勝海舟の他にジョン万次郎の多大な影響を受けて、日本国内だけには収まらず外国へと視野を広げていく事となるのです。

この様に坂本龍馬は、新しい日本を作って行こうと奔走しました。
当時は犬猿の仲とまで言われた薩摩と長州の間に、薩長同盟を成立させました。同時に「船中八策」を提案した事は、後の大政奉還に結び付いたのです。
こうして坂本龍馬は様々な策を練り、幕末の日本に対して実に大きな影響を与えて、途方もなく巨大な功績を残しました。

しかし、池田屋騒動の時には大きな傷を負いました。その時には療養を兼ねて、妻のおりょうと共に霧島へ行ったのです。これがかの有名な、日本で初めての「新婚旅行」なのです。
その当時は新婚旅行という習慣は勿論、新婚旅行という言葉さえ無い時代でしたので、周囲はさぞかし驚いたでしょうね。

ただ皮肉な事ながら、その功績が桁違いに巨大だった為か、僅か33歳という若さで暗殺される結果を招いてしまいました。

 

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