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寺田屋事件の後で、坂本龍馬は隠れ家の必要性を感じて、京都にある醤油商近江屋の裏庭の土蔵に密室を作りました。 この隠れ家は確実な脱出ルートを備えており、万が一の時でも生命が保てる様に入念に策を練っていました。
しかし運命の日、坂本龍馬は風邪をひいて土蔵の寒さが耐えられず、この日に限って同志の中岡慎太郎と共に近江屋の母屋の2階に行き、二人で暖を取っていたのだそうです。 そこに他の仲間が加わり話に花が咲いてきた時点で、「食事でもしようか。」と言う運びとなり、その中の1人を材料の買い出しに行かせました。 その後は帰る人もいたので、部屋の中は龍馬と中岡慎太郎の他は、護衛の藤吉、この3人だけになりました。
その直後、十津川郷士と名乗る数名の男が、近江屋の母屋に乱入したのです。 そして先に部屋まで案内しようとした護衛の藤吉を、この男達は背後から斬り付けて殺害したのです。 殺害された藤吉が転倒した音を聞いた龍馬は、外でふざけているのだなと勘違いして完全に気を抜いていた筈です。風邪の不調に加えて、気を許す者との食事前の気楽さもあり、持ち前の仕事の警戒心を忘れ、ひと時の油断があったに違いありません。
そこへ男が2人乱入してきたのです。男達は龍馬の額を斬りつけました。この時に出た血がかかった掛け軸は、今でも近江屋に保存されているのです。 その後には中岡も斬られ、2人揃って数カ所を斬られました。坂本龍馬は直後に息絶えた様ですが、後に残った中岡は重傷ながらも、暗殺時の状況を土佐藩士に伝え、2日後頃に息絶えたそうです。
正にその翌月、「王政復古の大号令」が発令されて、新しい日本が生まれました。そうです。新生日本が誕生したのです。坂本龍馬は死ぬ間際、「残念、残念。」と呟いていました。 新生日本が間近に迫っているのに、死ななくてはいけないのはどれ程無念だった事でしょうか。 もしかすると、坂本龍馬が死ななくては、新生日本は生まれない仕組みだったのかも知れません。 仮にそうであれば、「坂本龍馬という人物は、新生日本を産み出すという使命を与えて、天が幕末の日本に下らせた巨星だったのだ。」という考え方も成り立ちます。
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